時制と相 3 Reichenbach(ライヘンバッハ)(1947)の紹介②

 前回の記事に引き続き、ライヘンバッハ(1947)を阿部(2018)を基に紹介していきます。前回の記事を読まれていない方はそちらを読んでからこの記事を読むことをオススメします。

この記事で触れるのは、①進行形について②時間を修飾する語との関係③時制の一致の3点です。

進行形について 

 ライヘンバッハは進行形を、「出来事がある時間の幅をカバーしている」(阿部(2018)より)ことを表すと規定しています。

(1)I am seeing John.

阿部(2018)より

この例ではジョンを見るという出来事が幅を持って、発話の時点(S)と参照の時点(R)を覆っているというイメージです。

 さて、阿部(2018)は、ライヘンバッハの理論では進行形で表される出来事がどの程度の幅を持つかについて明確な規定が無いことを指摘しています。ではどの程度の幅を持つのか確認しておきましょう。とくに問題となるのは次のように完了形と進行形が同時に用いられている場合です。

(2)I have been seeing John.
(3)I had been seeing John.
(4)I will have been seeing John.

阿部(2018)より

 前回の復習になりますが、完了形は出来事の時点(E)が参照の時点(R)よりも過去に位置することを表すものでした。それは次のように図示できます。E→R 

 そして、進行形ではこのEが幅を持っているとされていますから、この幅がどの程度まで広がるのかということが問題となります。結論から言いますと、進行形が表す幅は、参照の時点(R)まででストップし、それより未来には広がりません。これがいわゆる継続を表す用法です。例えば、(2)では、haveは現在形で用いられているので、参照の時点(R)は発話の時点(S)と重なります。そして完了形を用いているため、出来事の時点(E)は(R)より過去に位置しており、進行形が後続するためその出来事は幅を持っています。その出来事の幅は無制限に広がるのでは無く、参照の時点(R)までしか広がりません。

 筆者の補足ですが、未来方向への広がりは参照の時点(R)で止まるとしても、過去方向への広がりは際限がないのではないかという話になるかもしれません。まず前提として、実際の時間の話をしているのではなく時制という文法の話をしていることを意識しておいてください。そして完了形と進行形が同時に用いられる用法において、未来方向への広がりは参照の時点があり、また発話の時点がある、つまりこの点で未来方向への広がり方は質的な違いがあるのでどこでとまるのかということは理論として示される方が望ましいと思われます。

 しかし、出来事の時点より過去の時制において理論としては均質な過去です。図示した場合の距離というのはあるかもしれませんが、そこはライヘンバッハの理論が重きをおいているわけではないと思われます。そのため過去方向への広がりが際限がないのでは?という疑問は、理論的にはその通りだが別にそれは問題にならないというところに落ち着くかと思われます。

時間を表す修飾語との関係 

 次に、時間を表す修飾語との関係について見てみましょう。時間を表す修飾語句というのは、yesterdayや副詞的に用いられるwhenなどのことです。例えば次の例を見て下さい。

(5)I had met him yesterday.

阿部(2018)より

 この例のyesterdayが修飾するのは、出来事の時点(E)でしょうか、参照の時点(R)でしょうか。この文の意味を考えてみると、「昨日のある時点(R)で、私は既に彼に会っていた(E)」という感じになると思います。つまりyesterdayが修飾しているのは、出来事の時点(E)ではなく、参照の時点(R)だということです。(?「ある時点で、昨日私は既に彼に合っていた」はおかしな感じがしますよね) 

 別の例も見て下さい。

(6)Now I will go.

阿部(2018)より

 (6)は日本語では「では、行ってきます」といった意味に相当すると思われます。この例からは、未来表現のwillは時制としては現在時制を表すことができることがわかります。どういうことかというと、Nowは時間を修飾する語であり、参照の時点(R)を修飾します。つまり、この(6)の例では参照の時点(R)は現在時点に位置し、「私が行く」という出来事の時点(E)が未来に位置しているということです。もし、時間を修飾する語が出来事の時点(E)を修飾するなら、未来表現のwillはNowと共起することができません。しかしこの例をみると先ほども述べたように、時間を表す語句が修飾するのは出来事の時点(E)では無く、参照の時点(R)であることが改めて理解できるでしょう。

時制の一致 

 最後に時制の一致についてライヘンバッハの考え方を紹介します。そもそも時制の一致とは、複数の節からなる文においてそれぞれの節の時制が一致しなくてはいけないというルールのことです。ライヘンバッハはこのルールにおいて一致しなくてはならないのは、出来事の時点(E)では無く参照の時点(R)であると言っています。次の例を見て確認しましょう。

(7)I had mailed the letter when John came and told me the news.

阿部(2018)より

 この例では、参照の時点(R)は過去時点で一致しています。順を追って説明します。まず主節の方は完了のhadが使われているので、出来事の時点(E)は参照の時点(R)よりもさらに過去の時点に位置します(E→R)。次に、whenを用いた従属節の方は単純過去形なので出来事の時点(E)と参照の時点(R)は過去時点で位置します(E,R)。つまり、出来事の時点(E)は主節と従属節でズレが生じているのですが、参照の時点(R)は全て過去の一時点で一致しているのです。(「私が手紙を書いた」(主節)のは、「ジョンがやって来てその知らせを私に話した」時(従属節)よりも過去のことですが、これは出来事の時点(E)の話であり、参照の時点(R)は一致している)
主節   |E→| R →|S
従属節  |  |E,R→|S
時制の一致で、一致しなくてはならないのは、出来事の時点(E)では無く、参照の時点(R)であることが確認できたでしょうか。

 もうひとつよく見る例を確認しましょう。

(8)I know that you will be here.

阿部(2018)より

 ここでは(6)Now I will go.の説明を思い出して下さい。未来を表すwillは、出来事の時点(E)が参照の時点(R)より未来に位置することを表すものでした(R→E)。そのため「あなたがここにいる」という出来事(E)は未来に位置します。一方で「私が知っている」という出来事(E)は現在に位置します。これまではこういった例で時制が一致していないと感じられる方もいらっしゃったと思いますが、ライヘンバッハの理論においては一致するのは参照の時点(R)であり、出来事の時点(E)ではありません。そして(6)でも見たようにwillは参照の時点(R)としては現在を表し得るものなのです。よってこの例でも時制の一致のルールは守られていることが理解できるでしょう。

まとめ

・進行形は出来事が時間的な幅を持つことを表す。
・時間を修飾する語句は参照の時点(R)を修飾する
・時制の一致は節の間で参照の時点(R)が一致する現象である。

ちなみに今回参考にした阿部(2018)では日本語には時制の一致がみられないということも丁寧に解説してあります。大変勉強になる1冊ですので、気になる方は是非ご一読ください。

今回参考にした文献
阿部潤(2018)『生成意味論入門』開拓社

ライヘンバッハの元の文献
Reichenbach,Hans(1947)Elements of Symbolic Logic,The Macmillan Company

コメント

タイトルとURLをコピーしました